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執筆者の写真尚志館管理人

寸止め

皆さんこんにちは!管理人です。


今週は特にイベントが無いので、またまた管理人のコラムです。


さて、皆さんは『寸止め』という言葉にどのようなイメージをお持ちでしょうか?

多分この記事を読まれている方は協会空手の関係者の方が多いと思いますので、どちらかと言えば苦々しい印象を持たれる方が多いのではないかと思います。


"寸止め"という言葉自体は、本土空手の黎明期に於いて、組手稽古が生まれた頃には既に存在していたと思われますが、それが世間一般に対して広まった背景としては、1970年代に流行した漫画『空手バカ一代』の影響が大きかったと思われます。

同誌は、極真会館開祖の大山倍達氏を主人公としてその半生を(フィクション込みで)描いたものですが、結果この漫画の登場によって極真会館が有名になったことで、フルコンタクトルールと区別する意味で、対極にある伝統派空手を一括りにして『寸止め空手』と呼ばれたのではないかと思います。


同作品では、氏が伝統派のルール(寸止め)に異を唱えて独立する事や、直接打撃による明確なダウンシーンが数多く描かれている事からも素人目にも分かり易く、"フルコンタクト=強い"というイメージが広まったのではないでしょうか。

特に1990年代後半には、K-1を始めとする格闘技ブームも到来し、そこで活躍する空手出身の選手が正道会館などのフルコンタクト系の会派だった事も手伝ってよりそのイメージが強くなったのではないかと思われます。


その結果、フルコンタクトからは伝統派の空手を作中の氏の台詞を用いて『ダンス空手』と揶揄する人まで現れ、逆に伝統派はフルコンタクトを『ケンカ空手』とか『我慢大会』などと言って深く対立することになります。

なので、管理人も学生時代はフルコンタクト系の流派で学んでおりましたが、"サバキ"と言われる、相手の攻撃を捌き、崩すことが中心の流派だったものの、それでも仲間内では伝統派空手を(侮蔑の有無はともかく)"寸止め"などと呼ぶ人がいたのも事実です。


因みに管理人の父は協会空手の出身ですが、家で"寸止め"と呼ぼうものなら、フルコンタクトでの制裁が待っていたので、当然会話ではそれぞれ『松濤館』『オマエのところ』と呼び合って無用な流血を避けてきました。(笑)

(父は協会以外の空手に興味が無いので、今でも流派名を覚えてくれていません)


それから20年、インターネットの掲示板や質問サイトでも未だ『どの流派(誰)が最強か?』などという話題になる事があります。格闘技・武道・スポーツの違いが分かっていない方のトンチンカンな遣り取りは依然残るものの、昔に比べて伝統派を寸止めと揶揄する言い回しや、寸止め=弱いというような論調は薄まって来たのではないかと思います。

むしろ双方の流派で交流を持つ人が増えたことでお互いの理解が深まり、友好的な情報を発信する人が増えてきたのではないかとさえ感じています。


これには空手のオリンピック競技化を含めた空手界全体での広報活動は勿論ですが、全空連における極真会館の友好団体化、リョート・マチダ選手など伝統派出身の総合格闘技選手の活躍など、一般市民でも空手に関する情報が得やすくなった影響も小さくないだろうと思われます。(結果、全空連のWKFルール統一による、空手道のKARATE化といった弊害もあるかも知れませんがそれはまた別の機会に)


そういえば、最近Youtubeの黒帯ワールドでも、総本部の中先生がいろいろな流派や武道に出掛けて行って話を聞かれていますよね。

管理人も、父に連れられて当時父の母校で師範を務めていた中先生にご挨拶に伺ったことがあります。その際に父から『ウチの息子はフルコンなんだよー』と紹介されたのですが、それを聞いた中先生は嫌な顔をするどころか笑顔で激励して頂いた事を覚えています。

(勿論中先生は私の顔すら覚えていらっしゃらないと思いますが・・・)

中先生の個人的な探究心もあるのかも知れませんが、武の道を極めようと思うならば、流派の違いなど些末な問題なのかもしれませんね。松濤館流の開祖である舩越先生が流派名を持とうとしなかったのもそういう事なのかも知れません。


 

という事で、"寸止め"をキーワードに近代空手史を少しだけ紐解いてみましたが、ルールに縛られることなく、今後より一層空手界が結束していける事を祈りつつ、両方の流派を経験した者として、お互いが誤解していそうなポイントを少しだけご紹介したいと思います。


まず1つ目は、フルコンタクトだって年中スパーリングしている訳では無く、むしろ稽古の大半の時間はちゃんと"空手"の基本稽古をしているという事。

フルコン系会派の大半が極真を源流に持っており、故大山氏が松濤館流と剛柔流を学んでいたことから、今我々が稽古している内容とは多少の差は有りますが、拳をキチンと握る事、引き手をしっかり引く事、前屈で立つなら前足の爪先が見えないくらいに膝を曲げる事など、今でも師範から指摘されるような数々の基本は、フルコンタクトでもキチンと学びます。(習っても疎かにする人がいるのは伝統派でも同じです)特に引き手は自分からは見えないだけに、先輩方から良く注意されたのは今でも覚えています。


そして2つ目は、"寸止め"は"寸前で止める"ではないという事。

空手には"極め"という言葉がありますが、寸前で"止める"のではなく寸前で"極める"。

空手協会の教材にもこうあります。

目標を肉体急所寸前に設定して、そこにコントロールよく最大の衝撃力を瞬時に爆発させ

無理に止めてしまっては勢いを殺してしまい、衝撃力は爆発しません。敢えて目標を身体のほんの少し手前に置き、そこにもしも相手の体があったら一撃で倒せるだけの力を込めることが肝要。だからこそ"間合い"が大事なのでしょうね。

以前の小林先生の記事にも同じ事が書いてあります。忘れた方はもう一度熟読を!


 

さて相変わらずコラムになると文字だらけでつまらない記事になりますが、つまらないついでにキッズ達へメッセージを。

もしもお父さんお母さんが読んでいたら、是非お子様たちに話してあげて下さい。


"極め"を大事にする空手道において、稽古中に余所見をする、気を抜くというのは怪我の元なので絶対にしない・させない事。

折角の休日を空手に費やしているので、稽古仲間と楽しく遊びたいと思うのは仕方ないと思います。ですがメリハリは大事です。例え基本だろうが形だろうが、相手が居ない時からこういう意識で稽古に臨まなければ、いざ組手になった時だけやろうと思っても出来ないものです。寸止め=当てないと思っていると、洒落ではなく本当に痛い目に遭いますよ!(迫真)


機会があれば、例え寸止めルールでも、武道というのはいつでも怪我と隣り合わせの危険なものであるという実例でも紹介したいと思います。



それではつまらない記事はこの辺で終わりにして、来週の告知をしたいところですが、来週はこれまたイベントの谷間なので、今からまた何かつまらないコラムを検討中です。

このBlogもまだ1年経っていないですが、年間のイベントの谷間をどう乗り切って読者の皆様を繋ぎ止めておくかは、管理人の今年の目標になりそうです。


それではお楽しみに!?


押忍

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