皆さんこんにちは!管理人です。
昨夜の台風は凄かったですね。ご自宅やお身体は大丈夫でしたか?
今週は久々に、"通りすがりの空手家"さんからお便りを頂いています。
最近では合宿にもご参加されたりして、何だかもう"通りすがり"と呼んでいいのか分かりませんが、皆さんもこの呼び名に慣れている事ですし、このままにしましょう。
さて第4弾の投稿は、空手の礼にまつわるお話です。
船越先生の二十訓にある『空手は礼に始まり礼に終わる事を忘るな』の通り、空手を含む武道において、『礼』とは非常に重要な意味を持ちます。
皆さんでも学校で「挨拶」としての礼をすると思いますが、空手の礼とはどんな意味か、考えたことはありますか?
時々師範も話して下さっていますが、ここで改めて皆さんなりにも礼というものを見つめ直す良い機会かもしれません。
それでは、いってみましょう。
私たちが行っている空手では、稽古が始まる前と、終わった後に三つの礼を行います。
・神前(正面)に礼
・師範に礼
・お互いに礼
神前に礼というのは、色々な解釈があるかと思いますが、私個人の解釈としましては、日本空手協会の開祖である船越先生のみならず、尚志館道場であれば、田中師範に空手を教えて下さった先生や、田中師範と共に学び合った先輩方など、今、自分が空手を学べている、この状況を作って下さった先輩がたに対する礼だと考えています。
師範に礼は、その名の通り、空手を教えて下さる先生(田中師範)に対する礼です。
お互いに礼というのは、「空手を学ぶ者」としては師範も弟子も同じ立場であるということで、師範と弟子がお互いに礼を行うものだと思います。
師範は「教える」ことで、弟子は「教わる」ことで空手を学んでおり、それは役割の違いであって、どちらが偉いというものではありません。
師範は、弟子がいなければ師範にはなれず、誰かに教えるという経験自体が出来ませんし、弟子は、師範がいなければ弟子になれず、空手を学ぶという経験も出来ないからです。
互いの存在のおかげで自分自身を高められるため、互いに感謝をしあうというのが、お互いに礼だと思います。
この三つの礼ですが、実は尚志館の礼には他の道場と一点違う点がある(と私は思っている)のですがお気付きでしょうか?
尚志館で行う三つの礼は、以下の流れかと思います。
①弟子の代表一人「神前に、礼」
↓
②師範、弟子全員が、沈黙で礼
↓
③弟子の代表一人「師範(せんせい)に、礼」
↓
④師範、弟子全員が、沈黙で礼
↓
⑤弟子の代表一人「お互いに、礼」
↓
⑥師範、弟子全員が、「押忍」
私はこの世の全ての道場の練習に参加したわけでありませんので、あくまで主観ではありますが、
他の道場ではおそらく、④の「師範に礼」の部分は以下のように行っているのではないかと思います。
④師範は沈黙で礼。弟子全員が師範に対して「ありがとうございました」(練習前であれば「お願いします」)
「師範に礼」に関しては、弟子が師範に対して「お願いします」「ありがとうございました」と言う方が多いのではないかと思います。
田中師範がどのように考え、「師範に礼」の時に沈黙にしているのかを聞いたわけではありませんが、「自分は指導者ではあるが偉いわけではない」という謙虚な気持ちがこの部分にあるのではないでしょうか?
(ただの買いかぶり過ぎかもしれませんが・・・笑)
一般的に私たちは、何かをしてもらった時、そのしてくれた相手に対してお礼を言います。
逆に、何をしてもらわなかった場合、私たちはお礼を言いません。
空手の練習の前後で礼をするというのは、「今、自分がこの場にいて空手の練習が出来るという状態」自体を、「してもらったこと」と捉えているからこそ、行うのではないかと思います。
日本語で言うならば「おかげさま」という言葉がそれに当たるものです。
空手の試合で、負けた選手が礼もせずにコートを出ていく姿がたまに見受けられますが、「負けた選手は悔しいんだから仕方がない」というのは完全な間違いであり、負けたのは、戦った相手がいてくれたからこそ経験できることなのです。
そこにも「おかげさま」の精神があるわけです。
私たち大人がしっかりと礼を行ない、また、子ども達にも礼の意味を教えてあげてくださいね。
・・・と言うか、三つの礼の意味について、私も誰かに教わったわけではありませんので、全て主観です(笑)
信じるか信じないかは・・・あなた次第です!(ズルい)
如何でしたでしょうか。
私も別の流派をはじめ、幾つもの道場や団体を渡ってきました。また出稽古などを通じて、同じ会派内で他所の道場にお邪魔する機会もありましたが、一つとして同じ礼法のところはありませんでした。
それだけに『そういうもんだろ』と冷めた認識で今日まで来ていましたが、きっとそれぞれの場で礼法を定めた人の想いがそこにあるのかも知れません。
因みに極真などのフルコンタクト系の道場では、道場に入るところで「正面・左右」のそれぞれに向かって十字を切って3回「押忍」と挨拶をしてから敷居を跨ぎます。
尚志館でも道場に出入り時に礼をする事を躾けられていると思いますが、こういうところにも流派や道場のカラーが出ているのでしょうね。
通りすがりの空手家さんは、信じるかどうかはあなた次第と締め括っていましたが、出稽古に来た方が、間違って(?)自身の道場の流儀でお辞儀をしても、それを師範が咎めたのを見たことはありません。
みんなが揃って同じ所作をするというのも大事かも知れませんが、言われたからという理由だけで惰性でするのではなく、一人一人が意味を考え・理解し行動をする事、それが礼法ならば、今自分は誰に向かってどんな礼をしているのか?を想いながら礼をするという事が一番大事なのかも知れません。
ではまた来週お会いしましょう!!
押忍
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