みなさんこんにちは!管理人です。
今日で今年度も終わりですね。明日からは新しい学年になりますが、目標は立てましたか?
管理人にとっては、新年度だからと言って何か目新しい事がある訳でも無く、新入社員を眺めながらウン十年前は自分もこうだったなぁ・・・とかお花見どうしよっかなーくらいのモノですが、進級または進学を控えた皆さんは、新しい環境に向けて胸を躍らせている頃ではないかと思いますので、是非とも飛躍できる1年になるよう頑張ってください!
さて、今週も"通りすがりの空手家さん"からお便りが届いています。
皆さんは"通りすがりの空手家さん"がどなたか、そろそろお気付きですよね・・・?
気付いていない方は、指導員の先生方に素直に質問しましょう。
ということで早速頂いたお便りを紹介したいと思いますが、DJ管理人のテンションは疲れるので、今回は普通に進行したいと思います。
今回は、"無敵"と"最強"についてです。
武道家なら一度は目にするこのキーワード。さてさてどんなお話でしょうか。
早速参りましょう!!
※この記事は、お子さんが空手を習っている親御さん向けに書いているつもりなので、そういった前提でお読みください。
空手をやっている人の多くが意識することの一つに「強さ」というものがあると思います。
今回のブログのタイトルの「無敵」や「最強」という言葉について考えたことのある方も多いのではないでしょうか?
そこで質問させて下さい。
「もしアナタの前に神様が現れて、アナタのお子さんを無敵か最強のどちらかにしてやろうとおっしゃったら、どちらを望みますか?」
私は、この「無敵と最強」という言葉を聞くと思い出す話があります。
それは、システマというロシア武術の先生と生徒の会話です。
システマという武術は、超実戦武術と言われており、
例えば、両手を後ろに縛られ、うつぶせになった状態で、拳銃を後頭部に突き付けられている状態から
どうやって脱出するか、などといったことを可能にする武術らしいんですね。
僕だったら、そんな状況に陥ったら諦めますけどね(笑)
で、こういう実戦的なことを教えてくれるシステマの先生に、生徒がこう尋ねました。
「先生。夜道でナイフを持った4人の男に襲われたら、どのように対応すれば宜しいですか?」
先生は、その生徒の目をジッと見つめた後、生徒に近づき、肩をポンと叩いてこうおっしゃいました。
「君は一体・・・
何をしたんだ?」
僕はこの先生の発言を聞いた瞬間に笑ってしまいました。
4人の男がナイフを持って襲ってくるって、そりゃ確かに何をしでかしたんだか気になりますよね。
僕は一笑いした後、ちょっと経ってから・・・この先生の答えが実は深いことに気付きました。
もしこの生徒が、ナイフを持った4人を撃退出来たとします。
そうしたら、今度は相手は10人で襲ってくることでしょう。
もしこの生徒が、ナイフを持った10人を撃退出来たとします。
そうしたら、今度は相手は拳銃で襲ってくることでしょう。
もしこの生徒が、拳銃で襲ってくる人を撃退出来たとしたら・・・メッチャ強いですね(笑)
撃退出来たとしたら、今度は相手は、家に爆弾を仕掛けられるかもしれません。
家族を人質に取るかもしれないのです。
私たちが仮に「最強」になったとしても、爆弾を防ぐことは難しいでしょう。
自分以外の人を狙われた場合には守る術がありません。
ところが、もし「無敵」だったらどうでしょう?
最初からナイフを持った人達に襲われないならば、何の問題も起こらないのです。
実は、「最強」というのは「無敵」の一つの方法に過ぎません。
最も強いから、誰も襲ってこない=「最強」だから「無敵」ということです。
「無敵」は、「最強」以外でも得ることが出来るのです。
例えばですが、もしアナタのお子さんが、周りの人全員から、
「俺はお前より強いけど、でも、お前のことが大事だから傷つける気はないよ」
と言われれば、アナタのお子さんは「無敵」になれるのです。
そこで質問です。
日本空手協会の空手は「最強」を目指していますか?それとも「無敵」を目指していますか?
私たちが習っている、日本空手協会の空手は「無敵」を目指しています。
何故断言出来るのかと言いますと、
尚志館の練習で毎回唱和している、道場訓にそう書かれているからです。
・人格完成に努むること
と。
人格が完成された人というのは、
周りの人から尊敬されたり、可愛がられたり、応援される人のことではないでしょうか?
こういう人のことを「無敵」と言うのではないかと私は思うのです。
それでは人格完成を目指すにはどうすれば宜しいのでしょうか?
その答えが、道場訓の二つ目~五つ目にあります、
・嘘をつかないこと(誠の道を守ること)
・何事にも本気で取り組むこと(努力の精神を養うこと)
・挨拶ができること(礼儀を重んじること)
・キレないこと(血気の勇を戒むること)
※「血気の勇」というのは、血の気が多く、野蛮なことを意味しているかと思いますので、
「カッとなる」「キレる」という行動のことを意味します。
の四つのことなのだと私は解釈しています。
少なくとも、道場訓のどこにも「強くなれ」という旨のことは書かれておりません。
書かれてはおりませんが、
>・何事にも本気で取り組むこと(努力の精神を養うこと)
日々の練習を真剣に取り組むことで、最強になれるかどうかは分かりませんが、
ある程度の強さを手に入れていることかと思います。
強さというのは、求めるものではなく結果として得られるものではないか、と思うのです。
アナタはお子さんに、他の誰よりも強い「最強」を目指してほしいですか?
それとも、周りの人から応援される「無敵」を目指してほしいですか?
最後に、もう一度質問させて下さい。
「もしアナタの前に神様が現れて、アナタのお子さんを無敵か最強のどちらかにしてやろうとおっしゃったら、どちらを望みますか?」
如何でしたでしょうか?
空手の世界にいれば『~最強伝説』なんていう言葉を耳にしますよね。
私自身は肉体的にも精神的にも決して空手向きではないので、最強を目指すなどおこがましいですが、学生時代がK-1などの格闘技ブームと重なっていたので、友人らとのお酒の席で最強理論などの議論を交わしたのを覚えています。
誰しも幼いころは、仮面ライダーやウルトラマンといったヒーローが悪役と闘う姿に憧れ、強さ=正義と考え、自身もそんな風になりたいと思うものでしょう。
それだけに、"無敵"というのは己の強さ故に敵がいないだけではなく、己の優しさや人徳から敵を作らない/作らせない立派な事なのだと気付くには、時間がかかりますよね。
師範も仰る『生涯武道』の精神というのは、こうした精神的な成熟も含めて、長い時間をかけて自ら考え、身に付けていくものなのではないかと思ったりします。
さてさて、ここまで書いて最後に皆さんに一つ質問です。
松濤館流には、船越義珍先生が定めた"空手道二十訓"がありますが、皆さんご存知ですか?
その16番目には、こう書いてあります。
『男子門を出づれば百万の敵あり』
道場訓を定めたのは船越先生ではなく初代主席師範の中山先生ですが、船越先生を師と仰ぎ、空手を通じて人格完成を目指す筈の松濤館流が、一度門を出るとそこには沢山の敵がいる・・・というのはどういう事でしょう?
似たような諺(ことわざ)に『男子家を出ずれば七人の敵あり』というのもあります。
この場合、七人というのは大勢という意味ですので、どちらも同じことを指していると思われます。この諺は、
「男が世間に出て活躍すると多くの敵ができるものだから、普段から注意を払いなさい」
といった意味だそうですが、この"敵"とは何か?
勿論、自身が望まなくとも襲ってくる暴漢もあると思いますが、管理人は自身の道や心を惑わす誘惑や邪念もこの敵に含まれるのではないかと思っています。
稽古でついつい楽をしたくなってしまう事や、サボりたくなってしまう事って、子供じゃなくても、大人でもありますよね。(むしろ大人の方のサボりたい症候群は難病です)
ですが、同じく二十訓にある
『空手は湯の如し絶えず熱度を与えざれば元の水に還る』
の言葉通り、自分の弱い心を突いてくる様々な悪魔の囁きを排し、不断の稽古を重ねることこそ、五条訓にある『努力の精神を養うこと』であり、通りすがりの空手家さんの仰る『結果として得られる最強』なのだろうと思います。
さぁ、何となく空手がしたくなってきませんか?(笑) 次の稽古が待ち遠しいですよね!?
そんなみんなは、県大会などの場で日頃の成果を存分に発揮できるよう、新年度も大きな声を出して元気一杯、精一杯稽古しましょう!
そしてまだ入門前にこれを読まれたアナタ、新年度から心機一転空手を始めてみませんか?
尚志館ではみなさまの入会を心からお待ちしております!!
お子様だけではなく、ご父兄の方もご一緒に是非。
さて来週は中原支部との強化合宿ですね。辛い合宿との評判ですが、この記事で通りすがりの空手家さんが教えてくれた心持ちを胸に、県大会へ向けて頑張って乗り越えましょう!
管理人も1日だけですが参加します。
ヘロヘロになった体験談をお届けできるかも知れないので、お楽しみに!
押忍
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